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	<title>Comments on: Yasukuni: Why the Emperor Stopped Going</title>
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	<description>The Japan History Group Blog</description>
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		<title>By: kmns</title>
		<link>http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/comment-page-1/#comment-85164</link>
		<dc:creator>kmns</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Sep 2007 12:04:33 +0000</pubDate>
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		<description>國際化のことを表音的表記の英語では internationalization と書く。これは如何にも長い。それで i18n と略記する。頭部の i と尾部の n の間に 18 のレターがあることによるもの。表音文字で構成されたlogographでプログラマーのjargon。i18n に對して文化によって異なる環境のことを locale といふ。數値は普遍的であるが、數字の場合、小數點をピリオドにするかコンマにするか、桁をどのやうに區切るかはlocaleによって決まる。

たとへば、同じ數値でも

USA:     10,000,000.00
France:  10.000.000,00
Nepal:  1,00,00,000.00

のやうに異なると、これは或る C++ の本に出てゐる。。

米國は小數點をピリオドにし、三桁ごとに區切る。これは thousand, million, billion, trillion と唱へてみるとわかる。ネパールは千以上は二桁區切なのだ。我日本は萬億兆と四桁區切であること、江戸時代に定まったとある。戰後もしばらくは四桁區切であったが、いつの間にか三桁區切りの傳票や帳簿になった。それで、町會などの會計報告で金額を讀み間違へる場面によく出くはす。なほ、イギリス英語では上位の數詞は六桁區切りになるが六は三の倍數なので三桁區切りでもあまり不都合はないと思はれる。

つまり、我々日本人は相當の不自由を背負込んでも、外國に合せようとするのである。テレビの司會者が朝鮮語風に船名を言はうとして努力するのも、自民黨の新總裁が靖國參拜について「鄰國の嫌がることをする人がありますか」といふのも、ローマ字のために五十音圖を削り込んだことも、みな同じ心性が働いてゐるのだ。これは日本人の美徳とすべきものだらうか。

敗戰後、自信を失って親の權威を喪失したことが教育の崩壞を招いたとされるが、國語の傳統の斷絶によるところが大きい。朝鮮語風に發音しようと努力する人、靖國參拜をやめることに痛痒を感じない人、どちらも自分を捨てて鄰國の歡心を買はうとする。捨てるほどのものが端から無いのだ。つまり背骨がないのだと思ふ。これが美徳でないのは、鄰國の人が心底そんなことを望むはずがないからである。數詞の區切りについて感謝する外國人などゐないであらうし、ローマ字の誤謬による混亂に今世界中の人が困惑してゐるのだ。靖國について、鄰國に嫌がる人がゐるとすれば、それは我々日本人の中にある誤解の反映でしかない。戰後日本の負の遺産は大きいと言はねばならない。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>國際化のことを表音的表記の英語では internationalization と書く。これは如何にも長い。それで i18n と略記する。頭部の i と尾部の n の間に 18 のレターがあることによるもの。表音文字で構成されたlogographでプログラマーのjargon。i18n に對して文化によって異なる環境のことを locale といふ。數値は普遍的であるが、數字の場合、小數點をピリオドにするかコンマにするか、桁をどのやうに區切るかはlocaleによって決まる。</p>
<p>たとへば、同じ數値でも</p>
<p>USA:     10,000,000.00<br />
France:  10.000.000,00<br />
Nepal:  1,00,00,000.00</p>
<p>のやうに異なると、これは或る C++ の本に出てゐる。。</p>
<p>米國は小數點をピリオドにし、三桁ごとに區切る。これは thousand, million, billion, trillion と唱へてみるとわかる。ネパールは千以上は二桁區切なのだ。我日本は萬億兆と四桁區切であること、江戸時代に定まったとある。戰後もしばらくは四桁區切であったが、いつの間にか三桁區切りの傳票や帳簿になった。それで、町會などの會計報告で金額を讀み間違へる場面によく出くはす。なほ、イギリス英語では上位の數詞は六桁區切りになるが六は三の倍數なので三桁區切りでもあまり不都合はないと思はれる。</p>
<p>つまり、我々日本人は相當の不自由を背負込んでも、外國に合せようとするのである。テレビの司會者が朝鮮語風に船名を言はうとして努力するのも、自民黨の新總裁が靖國參拜について「鄰國の嫌がることをする人がありますか」といふのも、ローマ字のために五十音圖を削り込んだことも、みな同じ心性が働いてゐるのだ。これは日本人の美徳とすべきものだらうか。</p>
<p>敗戰後、自信を失って親の權威を喪失したことが教育の崩壞を招いたとされるが、國語の傳統の斷絶によるところが大きい。朝鮮語風に發音しようと努力する人、靖國參拜をやめることに痛痒を感じない人、どちらも自分を捨てて鄰國の歡心を買はうとする。捨てるほどのものが端から無いのだ。つまり背骨がないのだと思ふ。これが美徳でないのは、鄰國の人が心底そんなことを望むはずがないからである。數詞の區切りについて感謝する外國人などゐないであらうし、ローマ字の誤謬による混亂に今世界中の人が困惑してゐるのだ。靖國について、鄰國に嫌がる人がゐるとすれば、それは我々日本人の中にある誤解の反映でしかない。戰後日本の負の遺産は大きいと言はねばならない。</p>
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		<title>By: kmns</title>
		<link>http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/comment-page-1/#comment-83429</link>
		<dc:creator>kmns</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 18 Sep 2007 00:04:10 +0000</pubDate>
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		<description>故事の説明、ネットにあったものを轉載したのであるが、「隣國の聞かしむべからず」は妙だ。「隣國に聞かしむべからず」とあるべきではないか。それから、萬景峯號の發音、「主義に準じて」と書いたのは「主義に殉じて」。

船名をマンギョンボンゴウと讀む。固有名詞を互いのお國振りにしたがって讀むのが互惠だと言ふが、我國の名前には訓讀みもある。訓讀みの名前を日本語風に讀めといふのは植民地であっても考へつかない横暴ではないか。互惠ではなく互縛なのだ。

なほ、萬景峯號で検索してもヒットしない。新字體でなければならないのだ。今、漢字文化圏から日本に來て困るのは字體の問題だらう。表音主義者はアルファベットに普遍文字を夢想したのかも知れないが現實には漢字の島國性を高めてしまった。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>故事の説明、ネットにあったものを轉載したのであるが、「隣國の聞かしむべからず」は妙だ。「隣國に聞かしむべからず」とあるべきではないか。それから、萬景峯號の發音、「主義に準じて」と書いたのは「主義に殉じて」。</p>
<p>船名をマンギョンボンゴウと讀む。固有名詞を互いのお國振りにしたがって讀むのが互惠だと言ふが、我國の名前には訓讀みもある。訓讀みの名前を日本語風に讀めといふのは植民地であっても考へつかない横暴ではないか。互惠ではなく互縛なのだ。</p>
<p>なほ、萬景峯號で検索してもヒットしない。新字體でなければならないのだ。今、漢字文化圏から日本に來て困るのは字體の問題だらう。表音主義者はアルファベットに普遍文字を夢想したのかも知れないが現實には漢字の島國性を高めてしまった。</p>
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		<title>By: kmns</title>
		<link>http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/comment-page-1/#comment-83324</link>
		<dc:creator>kmns</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Sep 2007 01:50:02 +0000</pubDate>
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		<description>「二卵をもって干城の将を棄てず」といふ諺がある。「干城」は干（盾）と城の意から轉じて、國を守る軍人。孔子の孫の子思が衛公に苟變といふ人物を推薦したところ、その才能は認めたが、かつて苟變が役人であったとき、人民に二個の卵を割り當てて取り立てたことがあったことを理由に採用を拒絶した。子思が「二卵をもって干城の将を棄つ。これ隣國の聞かしむべからず」と諫めたところ、公はその意見に從ったといふ。『孔叢子・居衛』に見える故事。 

安倍内閣で續出した閣僚の事務所費問題などは可愛いものである。しかし、それを言ひ繕って嘘をついたことは許されることではない。マスコミがつついて次々と辭任に追込む。ひょっとしたら、更に辭任しなければならない大臣が出てきてゐたのかも知れない。

テレビの司會者が後繼総裁候補二人をならべて詰問する。要するにマスコミが牛耳ってゐるのである。司會者が日朝問題について、萬景峯號の入港を認めるべきではないかと二人に迫るのであるが、その船名を發音できない。バンケイホウゴウなら問題ないところ、朝鮮語の音を尊重すべきといふ主義に準じて言ひ澱むのである。いや朝鮮語ではない。字音を一字づつ繰返してマンギョンボンゴウとなってゐるに過ぎない。朝鮮語風の字音と我國の字音とは多少異なる。そのあたりのことを斟酌せず、バンケイホウゴウと言ふのは失禮だと思ってゐるのだ。アメリカ人に向かってJesusをヂーザスでなく、イェススと發音すべきだと言ふのであらうか。戦後の表音主義者の主張とはかくのごときものであった。彼らが言ひ澱むのは自縄自縛。しかし、それで國語の音韻が壊されていくのはたまらないのだ。

憲法學者水島朝穂氏は「今週の直言」(2007.9.17)で総理をバスの運轉手に譬へ、シドニーでの記者會見の發言を引いて次のやうに言ふ。

// ここから
「私は職責にしがみつくということはない」という奇妙な日本語を使ったのも、彼が「職席」と思い込んでいたからかもしれない。日本語としては、「職責を全うする」という。安倍氏は結局、首相という「職席にしがみつく」ために無理をしすぎたのではないか
// ここまで

思へば、美しい國を標榜するわりには、カタカナ語の多い内閣であった。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「二卵をもって干城の将を棄てず」といふ諺がある。「干城」は干（盾）と城の意から轉じて、國を守る軍人。孔子の孫の子思が衛公に苟變といふ人物を推薦したところ、その才能は認めたが、かつて苟變が役人であったとき、人民に二個の卵を割り當てて取り立てたことがあったことを理由に採用を拒絶した。子思が「二卵をもって干城の将を棄つ。これ隣國の聞かしむべからず」と諫めたところ、公はその意見に從ったといふ。『孔叢子・居衛』に見える故事。 </p>
<p>安倍内閣で續出した閣僚の事務所費問題などは可愛いものである。しかし、それを言ひ繕って嘘をついたことは許されることではない。マスコミがつついて次々と辭任に追込む。ひょっとしたら、更に辭任しなければならない大臣が出てきてゐたのかも知れない。</p>
<p>テレビの司會者が後繼総裁候補二人をならべて詰問する。要するにマスコミが牛耳ってゐるのである。司會者が日朝問題について、萬景峯號の入港を認めるべきではないかと二人に迫るのであるが、その船名を發音できない。バンケイホウゴウなら問題ないところ、朝鮮語の音を尊重すべきといふ主義に準じて言ひ澱むのである。いや朝鮮語ではない。字音を一字づつ繰返してマンギョンボンゴウとなってゐるに過ぎない。朝鮮語風の字音と我國の字音とは多少異なる。そのあたりのことを斟酌せず、バンケイホウゴウと言ふのは失禮だと思ってゐるのだ。アメリカ人に向かってJesusをヂーザスでなく、イェススと發音すべきだと言ふのであらうか。戦後の表音主義者の主張とはかくのごときものであった。彼らが言ひ澱むのは自縄自縛。しかし、それで國語の音韻が壊されていくのはたまらないのだ。</p>
<p>憲法學者水島朝穂氏は「今週の直言」(2007.9.17)で総理をバスの運轉手に譬へ、シドニーでの記者會見の發言を引いて次のやうに言ふ。</p>
<p>// ここから<br />
「私は職責にしがみつくということはない」という奇妙な日本語を使ったのも、彼が「職席」と思い込んでいたからかもしれない。日本語としては、「職責を全うする」という。安倍氏は結局、首相という「職席にしがみつく」ために無理をしすぎたのではないか<br />
// ここまで</p>
<p>思へば、美しい國を標榜するわりには、カタカナ語の多い内閣であった。</p>
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		<title>By: kmns</title>
		<link>http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/comment-page-1/#comment-80753</link>
		<dc:creator>kmns</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Aug 2007 11:57:43 +0000</pubDate>
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		<description>現代假名遣を英語でどういふかを問題にした書込みで、「時枝誠記だったか表音的假名遣は假名遣に非ずと喝破した通り、現代假名遣はorthographyではない。」と書いた。時枝誠記ではなく橋本進吉だと友人に教はった。「表音的假名遣は假名遣にあらず」は橋本が『國語と國文學』（第十七巻第十二號、昭和十五年十二月十月刊行）に發表したもの。岩波書店刊橋本進吉博士著作集第三冊で讀むことができる。こういう論がありながら、それを押して現代假名遣がまかり通る。學問といふのはさういふものなのであらうか。民主主義といふのは萬民に知性があるとするものだと思ふ。専門家であるはずの學者が論を無視するのであるから何をか言はんやである。そして今もなほ現代假名遣を合理的とする教師を國費で育成してゐるわけだ。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>現代假名遣を英語でどういふかを問題にした書込みで、「時枝誠記だったか表音的假名遣は假名遣に非ずと喝破した通り、現代假名遣はorthographyではない。」と書いた。時枝誠記ではなく橋本進吉だと友人に教はった。「表音的假名遣は假名遣にあらず」は橋本が『國語と國文學』（第十七巻第十二號、昭和十五年十二月十月刊行）に發表したもの。岩波書店刊橋本進吉博士著作集第三冊で讀むことができる。こういう論がありながら、それを押して現代假名遣がまかり通る。學問といふのはさういふものなのであらうか。民主主義といふのは萬民に知性があるとするものだと思ふ。専門家であるはずの學者が論を無視するのであるから何をか言はんやである。そして今もなほ現代假名遣を合理的とする教師を國費で育成してゐるわけだ。</p>
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		<title>By: kmns</title>
		<link>http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/comment-page-1/#comment-79447</link>
		<dc:creator>kmns</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Aug 2007 06:56:58 +0000</pubDate>
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		<description>大正十三年の文部省假名遣改定案については芥川の前に山田孝雄が與謝野鐵幹の主宰する雑誌『明星』に痛烈な批判を書いた。

芥川は「山田氏の痛撃たる、尋常一樣の痛撃にあらず。その當に破るべきを破つて寸毫の遺憾を止めざるは殆どサムソンの指動いてペリシデのマツチ箱のつぶるるに似たり。この山田氏の痛撃の後に假名遣改定案を罵らむと欲す、誰か又蒸氣ポンプの至れる後、龍吐水を持ち出すの歎なきを得むや。然れども思へ、火を滅せむには一杓の水も用なしと做さず。況や一条龍吐水の水をや。是僕の創見なきを羞ぢず、消防に加はらむとする所以なり。」と書いてゐる。

山田孝雄『假名遣の歴史』（寶文館）の附録に「文部省の假名遣改定案を論ず」「右の意見發表前後の事情」の二つがある。表音文字が文字列とし表音機能を離れた視覺的表象となるとする指摘など、Bradley の説くところと全く變らない。聲音と文字との一致といふことについて、聲音がうつろひやすく、文字がさうでない事を述べて、次のやうに言ふ。「以上の如くなれば、言文の不一致といふ事は實用上の文字を用ゐる限り永久に實現し得られざるなり。この故に言文の不一致、これ永久的の事實にして何人かゞ非常の英断を以ってこれが一致を企て、一時これを爲果せたりとすとも、その翌日よりして早くも不一致の方途に進むなることを忘るべからず。」

山田は文部省のいふところを逐一駁して、紛はしいとされる假名遣がさうでないことを説くのであるが、また、改定案のいはゆる長音の表し方について、エ列長音の長音符をイ、オ列長音の長音附をウとすることを批判して、あたかもwikipedianの議論を予測してゐたごとくである。

附録第一部の冒頭に山田は次のやうに書く、「抑も民族常用の文字の如きは官府の力、法令の力を以てして直ちにこれを改廢すべき性質のものにあらざるは明らかなる事實なり。文部省は假名遣の改廢を數回企てゝ、しかも常に失敗せり。」

失敗の例として明治三十三年(1900)の小學校令施行規則がある。これによって明治三十六年の教科書には棒引き假名遣が行はれた。長音をイやウでなく棒で表すもの。しかし、評判が悪く、明治四十一年には元に復した。戦前の民にはは文部省のやり方を撤回させる力があったのだ。ローマ字は廣く實験に移されることなく推移した。ローマ字はまさに棒引き假名遣。そのため國際的に如何なる混亂を出來せしめてゐるか。外國人は現代假名遣で考へるしかないので、やはり、日本人が考へなければなるまい。しかし、日本人でこの混亂を知る人は少なく、また知ってゐる日本人は我關せず焉だ。

山田は、次のやうに述べる。「惟ふに本邦に漢字入りて後襲用久しくして、その繁に堪へずして假名を案出せり。この假名はその發明者と稱せらるゝもの一二傳へられるども、これたゞ傳説たるに止まり、事實は民族の要求によりて徐々に完成せられたるものといふを妥當なりとす。かくの如く文字言語の如きは自然の推移に待つべきものにして、人力を以てしてはたゞその方針を示して邪路に陥るを防ぐに止まるべきものなり。しかるを一挙にして根本的に之を改めむとするが如きは政治上の大革命に乗ずる場合の外には夢想するだに難しとする所なり。」

確かに戦後のどさくさに紛れて行はれたのだ。それが、民の力によって覆らないのは何故か。民の力が弱くなったのだと思ふ。マスコミの官叩きに顕著なやうに民はエリートを認めたがらない。Bradleyにしろ、山田孝雄にしろ、芥川龍之介にしろ、エリートであるといふ自覺をもって論じてゐる。山田は『假名遣の歴史』の序文として東北帝國大學法文時報第九號に書いた「國語の理解と國運の消長」を掲げるが、こんな件がある。

「我が國のすべての國民が我が國語に對してどれ程の尊敬を捧げ、どれだけの理解をしてゐるであらうか。（中略）さうして文教の府が破壊の見本をつくり、他の官省が得たり畏しと之を實行するといふ恐しい物凄い状態を呈してゐる。」

「國語を尊敬せよといふ。これに對しては誰も異論は表面唱へぬであらうし、又賛成もするであらう。然しながら、どこにその國語尊敬の事實が認められるのであるか。日常見る新聞や雑誌にあらはれてくる事がどれ程の尊敬を國語に捧げてゐるといふ事を示すか。私はかへつて反對の事柄を常に見せつけられてゐるのである。」「國語を尊敬するといふ事さへ、今は不十分であるが、私はたゞ尊敬するといふだけでは足らないと思ふ。國語は正しく理解せられねばならぬ。私の常に思つてゐる事であるが、私は國語の理解の正しいと否とが、場合によれば國運の消長にまで影響するといふ事を考へてゐる。」

『假名遣の歴史』の刊行は昭和四年(1929)。今のマスコミのことではない。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>大正十三年の文部省假名遣改定案については芥川の前に山田孝雄が與謝野鐵幹の主宰する雑誌『明星』に痛烈な批判を書いた。</p>
<p>芥川は「山田氏の痛撃たる、尋常一樣の痛撃にあらず。その當に破るべきを破つて寸毫の遺憾を止めざるは殆どサムソンの指動いてペリシデのマツチ箱のつぶるるに似たり。この山田氏の痛撃の後に假名遣改定案を罵らむと欲す、誰か又蒸氣ポンプの至れる後、龍吐水を持ち出すの歎なきを得むや。然れども思へ、火を滅せむには一杓の水も用なしと做さず。況や一条龍吐水の水をや。是僕の創見なきを羞ぢず、消防に加はらむとする所以なり。」と書いてゐる。</p>
<p>山田孝雄『假名遣の歴史』（寶文館）の附録に「文部省の假名遣改定案を論ず」「右の意見發表前後の事情」の二つがある。表音文字が文字列とし表音機能を離れた視覺的表象となるとする指摘など、Bradley の説くところと全く變らない。聲音と文字との一致といふことについて、聲音がうつろひやすく、文字がさうでない事を述べて、次のやうに言ふ。「以上の如くなれば、言文の不一致といふ事は實用上の文字を用ゐる限り永久に實現し得られざるなり。この故に言文の不一致、これ永久的の事實にして何人かゞ非常の英断を以ってこれが一致を企て、一時これを爲果せたりとすとも、その翌日よりして早くも不一致の方途に進むなることを忘るべからず。」</p>
<p>山田は文部省のいふところを逐一駁して、紛はしいとされる假名遣がさうでないことを説くのであるが、また、改定案のいはゆる長音の表し方について、エ列長音の長音符をイ、オ列長音の長音附をウとすることを批判して、あたかもwikipedianの議論を予測してゐたごとくである。</p>
<p>附録第一部の冒頭に山田は次のやうに書く、「抑も民族常用の文字の如きは官府の力、法令の力を以てして直ちにこれを改廢すべき性質のものにあらざるは明らかなる事實なり。文部省は假名遣の改廢を數回企てゝ、しかも常に失敗せり。」</p>
<p>失敗の例として明治三十三年(1900)の小學校令施行規則がある。これによって明治三十六年の教科書には棒引き假名遣が行はれた。長音をイやウでなく棒で表すもの。しかし、評判が悪く、明治四十一年には元に復した。戦前の民にはは文部省のやり方を撤回させる力があったのだ。ローマ字は廣く實験に移されることなく推移した。ローマ字はまさに棒引き假名遣。そのため國際的に如何なる混亂を出來せしめてゐるか。外國人は現代假名遣で考へるしかないので、やはり、日本人が考へなければなるまい。しかし、日本人でこの混亂を知る人は少なく、また知ってゐる日本人は我關せず焉だ。</p>
<p>山田は、次のやうに述べる。「惟ふに本邦に漢字入りて後襲用久しくして、その繁に堪へずして假名を案出せり。この假名はその發明者と稱せらるゝもの一二傳へられるども、これたゞ傳説たるに止まり、事實は民族の要求によりて徐々に完成せられたるものといふを妥當なりとす。かくの如く文字言語の如きは自然の推移に待つべきものにして、人力を以てしてはたゞその方針を示して邪路に陥るを防ぐに止まるべきものなり。しかるを一挙にして根本的に之を改めむとするが如きは政治上の大革命に乗ずる場合の外には夢想するだに難しとする所なり。」</p>
<p>確かに戦後のどさくさに紛れて行はれたのだ。それが、民の力によって覆らないのは何故か。民の力が弱くなったのだと思ふ。マスコミの官叩きに顕著なやうに民はエリートを認めたがらない。Bradleyにしろ、山田孝雄にしろ、芥川龍之介にしろ、エリートであるといふ自覺をもって論じてゐる。山田は『假名遣の歴史』の序文として東北帝國大學法文時報第九號に書いた「國語の理解と國運の消長」を掲げるが、こんな件がある。</p>
<p>「我が國のすべての國民が我が國語に對してどれ程の尊敬を捧げ、どれだけの理解をしてゐるであらうか。（中略）さうして文教の府が破壊の見本をつくり、他の官省が得たり畏しと之を實行するといふ恐しい物凄い状態を呈してゐる。」</p>
<p>「國語を尊敬せよといふ。これに對しては誰も異論は表面唱へぬであらうし、又賛成もするであらう。然しながら、どこにその國語尊敬の事實が認められるのであるか。日常見る新聞や雑誌にあらはれてくる事がどれ程の尊敬を國語に捧げてゐるといふ事を示すか。私はかへつて反對の事柄を常に見せつけられてゐるのである。」「國語を尊敬するといふ事さへ、今は不十分であるが、私はたゞ尊敬するといふだけでは足らないと思ふ。國語は正しく理解せられねばならぬ。私の常に思つてゐる事であるが、私は國語の理解の正しいと否とが、場合によれば國運の消長にまで影響するといふ事を考へてゐる。」</p>
<p>『假名遣の歴史』の刊行は昭和四年(1929)。今のマスコミのことではない。</p>
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